糸偏の漢字
まだ自分が学生のころ、非行に走っていました。
それをとめてくれた方がいました。
中学2年のとき、臨時で来られた若い女性の先生がいて、すごく成績の悪い僕を熱心に教えてくれてました。
ですが、その甲斐もなくまた裏切りになるのでしょうか。
進学は最低ランク以下でした。
それからは荒れて、1年制の学校に行き寮生活の中、厳しい両親から開放されたこともあり、非行はますます
度を増して補導もされました。
通っていた中学校からの連絡でそうなったのでしょうか。
その臨時の女性の先生が近くに赴任していて、ある日その先生が寮に来て、話を聞いてくださいました。
次の休みの日、先生がアパートに来てというので行ったのです。
その先生に特別な感情を持っていて、先生のお父様が亡くなられたとき、どういうわけか僕には知らせが来ませんでした。ですから当然、年賀状を書いたのです。
そして当たり前のようにお返事が来たのです。
そういういきさつもあり、先生のアパートに行きました。次の週も、その次の週も。
することは先生の教え子の答案用紙を整理することでした。
これは今から考えると先生として失格かもしれません。また守秘義務違反ていうのでしょうか、それにもあたると
思うのです。
いいのかな~こんなことをして。先生大丈夫なのかな~と思ってました。
ずっと内緒にしてました。
ある日先生が「ねえ、今度スーツで来ない? そうね~スーツはあるからそれを直せば着れるから」
次の週に行くとスーツがあり、裾は袖を直そうということになりました。
それから、2週間ぐらいでしょうか、朝早くに先生のアパートに行き先生の後をついて行きました。
行き場所は結婚式の会場でした。
そのとき先生が耳元で「わたしの弟ということにしといてね」
そういうニュアンスだったと思います。
どうやら、先生の教え子の結婚式のようでした。
披露宴になり先生の隣に座り、なれない席で僕はすごく違和感がありました。
フォーク、ナイフははじめてで、先生の真似をしてました。
その時先生が静かに言ってくれました。
「本当は弟が来る予定だったの。でも病気で入院してるから。ねえ、結婚の字って考えたことある?
糸偏でしょ? すごい深い意味があると思うの・・・。」
その式は無事に終わり、それからしばらくした日、先生から電話があり実家に帰らなければならなくなった」
と。どうやら弟さんが亡くなったようです。知る由もありませんが、年老いたお母様の面倒を見てたようです。
それから数十年、妻には悪いと思うのは先生のことは忘れたことはありません。ですが住所は変わったようです。年賀を送っても返ってきてます。
昨年、後輩の結婚式に出席した際に「結婚式」の中「結」の糸偏の字を思い描きました。
あなたと縁あって出会い、かたい絆で結ばれ今の組織(家)にいる。
恋が戀だったとも知らずに、やがて愛に変わり、あなたの情緒豊かな表現力に魅力され、
気がつけば、常に同じ目線。
編み物を編むように失敗もし出来がよいことも。
だけど失敗を繕うのも協同で。
疲れた時は冗談を言い気を紛らかすことも。
わたしたちは自分を訓練し今がある。
鍛錬していくのと約束した二人
お互い綻びることもあったね。
あなたといると細い紐が縄になるように才能が伸びていく。
決して縮むことはない。
気が緩み紙飛行機のようにあてのないことをすることはない。
技術を身につけたら一つづつ羽織るように感じることもある。
網の間を抜けるよう模索した日々。
でもまだまだ伸びるよ僕たちは。
満足な給与も頂いているがそれが総てではない。
たいがいに切磋琢磨して大きくなる。
何かを縫合するように大きくなる。
やがて組織(家庭)は大きくなり集大成となる。
ここに来るまで色々な経緯がありましたよね。
まだまだ経験が必要ですね。
紹介していただいた方々との絆も同然に。
約束した目的を果たし二人の活動も終焉に。
自分が組織(家族)を持つことの尊さを知る。
組織が満足に動くのは総て縁ある人々との硬い約束で結ばれた絆。
満足な日々をおくれたのも総てあなたたちのお陰。
みんなとの関係が絶えることのないように・・・。
あなたと神さまの前で誓いました。
祈り給え、払い給えと。
時間が経つと忘れてしまうので、また読み直し約束したことを忘れまいと誓うのです。
そして長い年月を経て出来た皆様との関係が縦に横に伸び、縮むことのないように、
細い絹を縒るようにまた関係が絶えることのないようにそして絡まることのないように
祈りながら「糸偏」の漢字のお勉強を納めるのです。
無学故に足りない言葉、編集能力が不足しています。
お気に召して頂けたら幸いです。
また興味のある方はお持ち帰り、編集をしてみてください。